僧の言箱
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2009年7月7日、満月夕刻におこなった坐禅セッション開始前の、20分程度のお話です。 テープ起こしとともに、な、なんと、小見出しも入れてくださっているので大変読みやすいぃぃぃーーーッ。


七夕 データ改ざん防止条例


  • 坐禅セッション in 月読寺
  • 日時:2009年7月7日満月夕刻

    本日も、始める前に30分程度、お話を申し上げたいと思います。特に今日は、話の内容につきましてご希望を賜っているわけではございませんが、何かしら、このような内容について話をして欲しい、というご希望がございましたら、いま、お尋ねになってみてください。しばらく、待ってみましょう。どなたから何もありませんでしたら、私の方から、何かお話を致しましょう。
    七夕の本来の時期は、いまとズレている?
    ところで7月7日の七夕というのは、本当はまだまだ先の話で、本来の日本の暦でいう七夕は、まだやって来ていないのですけれども。本来暦というのは月の満ち欠けに従って日本では作られていたのですが、月が満月になる時が15日で、新月になる時が1日とカウントされる。すると、7月7日というのは、絶対に満月にならないんです。7月7日というと15日の半分くらいですから、ある程度満ちていって、半月くらい、でしょうか。

    そして、今日はたまたま晴れましたので、とても空気のいい所でしたら、天の川が見えるかも知れませんけれども。このヨーロッパ式の太陽暦で7月7日を決めてしまいますと、たいていは梅雨なんですね。今日が、満月ということは、およそ、6月15日くらいですね、旧暦でいうと。本来の7月7日というと、あと3週間後くらいにやってくるはずのものなんです。そして、3週間後であれば、確実に梅雨は明けているんです。

    梅雨が明けていて、そうして、半月くらいですから、月の光が、あまり空を支配していないでしょう。ですから、その時空が晴れていて、充分星のあかりがあれば、暗い所でしたら天の川はよく見えるのですが。このように、間抜けな感じで7月7日を設定してしまっているんです。満月の日にぶつかってしまって、月がこうこうと照らしていますから、天の川がよく見えないのです。
    お寺便りに書かれていた、水無月の意味は……
    それはそうと、あるお寺の住職から、定期的にお寺便りが送られてくるのですけれども。昨日届いて、お寺便りをめくっていたら、『6月というのは、水無月と申します。その理由はこうこうこういう理由だからです』と書いてあって。そこで、ちょっとおもしろいな、と思ったのです。

    というのは、旧暦の水無月、でいう6月というのは、いまの日本の7月に相当するわけです。つまり、いまくらいが、水無月なんです。ただ、いまのヨーロッパの暦で無理矢理昔の言い方を当てはめると、水無月、となるのですけれども。すると、あたかも梅雨の時期が、水無月であるかのような印象がするんです。

    で、お寺便りには『なぜ水無月と言うのかというと、雨がちょうどその時、あまりにもたくさん降るので、空にあった雨があたかもなくなってしまうぐらい降るからである、という説があります』と、書かれていたのですけれども。

    「あぁ、なるほど! もともと水無月は単純に、梅雨が明けた後の7月。カラッと晴れて、雨が殆どふらなくなる状況について素朴に言われていたはずのことなのに。水無月が6月をさすようになったあとから強引に、つじつまを合わせるように、解釈を人は作るものなのだなぁ」ということを、思ったのです。ちなみに梅雨のことも、五月雨と書いて、さみだれ、と申します。いまで言ったら、6月に相当するという、奇妙なことになってしまっているのですが。
    人は現実のデータを改ざんする癖がある
    申したかったのは、パッと見て、何か不自然と思われたり、不協和なものに感じたとしたら、「その原因はどこか別の所にあるのかもしれない」と人は勝手に作り出してしまう。物語を、強引にいま自分が認識しているものに合わせて、変形して、作り直してしまうという特徴を、人は持っています。

    それについては、浮気をされると、たいていの人がものすごく腹が立つんです。男性が女性にされてもそうですし、女性が男性にされても、たいていすごく傷ついて根に持ったり、いつまでもクヨクヨしたりするものなのですけれども。

    「浮気されて傷ついた」と言って相談された場合、私が典型的に答えていますのは、精神的にも、いろんな意味で、本人がものすごく魅力的であれば、ものすごく完璧に相手の気持ちをつなぎ止めるくらい魅力的であれば、浮気はされないんです。

    もう少し言えば、ふたりの相性が、相手を浮気させないくらいに、うまくそれまでにずっと作り込まれていれば、そういうことは決してありえないんです。というのが、現実なんです。あからさまに、それが現実なんです。
    無意識に自分のことを魅力的だと思っている
    ところが、一般的に人は、自分は魅力的な存在であるとものすごく思い込んでいるんです。現実を認知していないんですね。これは、本当に奇妙な話なのですが、「あなたは魅力的な人間だと自分で思いますか?」と質問されたら、もう、日本人のうち、ほぼ100%の人が、「いえ、そんなこと思いません。私なんて、顔もよくないし、性格もそんなによくなくてダメだと思います」とか、そういうことを言いますけれども。

    そういうことを心の底では思っていないんです。「自分はとても魅力的であって、人に愛される存在でなくてはならない!」と思っているんです。そうしないと、苦しいから。自分の生きている価値というのは、人に愛されることや、人に認められること、人に評価されることなどに、多くの人は無意識的に考えている。人に認められたい、と。言ってしまえば、浮気されるのは、自分が認められていない、という感覚を生じるから、ものすごく苦しいことになってしまうんですけれども。

    ただ、その時に、現実にそこで見せつけられているものは、自分は実は、愛されるに値しないかも知れない。そして、充分に愛を注いでもらえるに値しない程度の人格性であったり、相手への振る舞いをしていたり、相手への心を持っていたり、あるいはそういう身体的特徴を持っていたり、という、そういう現実を認識させられるキッカケなのですけれども。
    現実を認識せず、データを改ざんしたくなるのは何故?
    そしてその時、じゃあ、自分が変わればなんとかなるかも知れない、という風に、現実に基づいて、現実によって認識を変えるチャンスではあるのですが。ただ、殆どの人はそういうことをしないんです。で、その現実というデータによって、自分の認識を補正するということをしないんですね。反対に、自分の認識に基づいてデータを改ざんするんです。つまり、相手が悪い、相手の人格が狂っているから、こういうひどいことをする、と。

    何でそういう風に思いたいかというと、そうでなければ、自分は魅力的ではないかも知れない、という現実を認識せずに済むからです。自分は非常に魅力的であって、愛されるに値する存在であるにも関わらず、相手が歪んでいて、狂っていて、ひどい人間だから、欲望にまみれてひどいから、という風に考えます。確かに、そういう側面もあるのですが、ただ、相手が、お付き合いしている人が、どんな相手であれ、必ず浮気をする、ということはあり得ないんです。それは、時と場合によるのですが。

    このような現実を認識する代わりに、『浮気されてしまうような自分である』という現実によって、「あぁ、じゃあ、そういう自分を変化させよう」と思います。例えば、相手により優しくしてみようとか、相手と本音で話せるようにしようとか、相手に小言を言うのを止めてみようとか、自分の心をイライラさせるのを止めようとか。相手の心を、ものすごく自分に向かわせるようにします。
    相手に対して無理な要求をする、本当の理由は?
    私たちは、相手に対して、無理な、受け入れがたいことを、時として要求したくなると思うのですけれども。受け入れがたいことを要求して、それを相手が無理をしてのんでくれた場合、「あぁ、無理をしてまでのんでもらえる自分である。だから、自分は評価されている、大切にしてもらえている、大事にされている」という印象を醸し出すことができます。普通のことを頼んでやってもらえても、自分が特別扱いされていることをあまり感じませんので、ついつい人は、いろいろ無理を言ったり、変なことを押し付けたりすることを、恋人同士や家族同士など、しばしば身近な相手同士で繰り広げるのです。

    しばしば、すごく変なことを押し付けるでしょう。その理由は、仏道的に見て、ひとえに『慢』の煩悩によるものです。実際それが、本当にやって欲しいかというと、別に自分でもできることだったりするかも知れないのですが、どーーしても、その時、させてしまいたくなるのは、相手が果たして無理をしてまで自分のためにしてくれるかどうかをテストしたいのです。

    そして、それをしてもらえたときに、自分は愛されている、評価されている、必要とされている、という印象が醸し出される。ただ、その印象を醸し出したくて、いろんなことを押し付けたり、要求したり、というせいで、相手の心が離れていく、ということが実際に起こりえる。(無理な要求と『慢』に関するイエデ4コマは、第五百九十五回、第五百九十六回を参照。)
    『慢』の煩悩が、問題をこじれさせる
    というようなことを繰り返していても、それらは、チャンスなんです。そのパターンを止めてみよう、とか、変えてみよう、とか、心の性質を変化させてみよう、業を変えてみよう、自分を綺麗にしてみよう、という風に、現実のデータに合わせて自分を補正するチャンスなんですね。

    ところが、殆どの場合は、そうではなくて、自分の思い込みの方、「自分は愛されるべきであるッ! 評価されるべきであるッ! 認めてもらえるべきであーるッ!」という、歪んだ認識、現実に基づかない認識に基づいて、現実のデータを改ざんするんです。「相手が歪んでいて、相手だけのせいで!」と認識して、イライラするんです。

    従って、イライラすると、イガイガした、カリカリした性格に、少し変化します。少し変化した分だけ、ガーーーーンッ!さらに、魅力が衰える。というよりは、相手としては、こちら側と一緒にいることで、イライラしたものと一緒にいても愉しくありませんから、より、問題がこじれる。
    正確に、現実を見る力を養うこと
    というような形で、認識に基づいてデータを改ざんする、ということを、しばしば人間はするのですが、少しずつおかしなことになっていく。けれども、これは浮気に限ったことではなく、他人事ではなくて、非常に多くの場合、データを改ざんするんです。水無月というのは、降りすぎてしまうから、空に水がなくなってしまうと、強引な解釈をしているのですが。

    それは、とても気をつけるのが好ましいのです。現実を見る、その目を養って、常に現実は自分に対して何かを突き付けているのですが、その時はいつも、自分を善い方向に、好ましい方向に変化させていくチャンスである、ということでしょうか。

    えぇ、おそらく、まだ時間に余裕があることでしょう。何かお尋ねになりたいことがありましたら、お尋ね下さい。