僧の言箱
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(24)ファッション自分語り


装いと《自分濃度》
 どんな服をその日着るのか、というのは、コミュニケーションと関わりがあると思われます。
 服の色、スタイル、露出度などなどを選択するときに、もちろんその日の自分の気分で好きな服を選ぶというのはあるにしても、その日会う予定のある人に対してどんな風に自分を見せようとしてるのか、というのが無意識的に出てきてしまうのは当然のことでありましょう。
 服装にはその人の自意識がにじみ出ているし、その人が周囲とどんなコミュニケーションのスタイルを持っているのかっていうのも、ある程度は読み取れることになるわけです。
 以前、よくあるタイプの雑誌特集で、恋人にこんな服装はしてて欲しくない、という、装いに関するアンケート記事を目にしたことがある。それが面白かったので当時のノートにメモを取っておいたのだけれど、どっかへいってしまったので、うろ覚えになってしまうが紹介いたします。
 その順位は忘れてしまい候へど、男性女性共に嫌なファッションとして上位を占めていたのが、「モード服で固めすぎてて個性出しすぎ」「ゴシック風」「B風」「秋葉原風」などだったと記憶しております。
 もちろんアンケート調査する場所によって格差が出ていて、原宿での調査だと「B風」や「中目黒風の原色ファッション」が不人気、青山・代官山などでの調査だと「原宿ゴシック風」「パンク風」が不人気だとか、そういう調子ではありました。みんな好き勝手に、自分と違うスタイルをけなす、けなす。
 それはともかく「モード系で固めすぎてて個性出しすぎ」の項目がどの地域でのアンケートでも上位を占めていたのが、印象的だったわけです。
 フツウに考えても、あまりにも個性的な服装は格好良いとは映るかもしれないけれど、親しみやすさは失われてしまいますゆえ、友人・恋人としては、かなーり近づきがたくなるわけであります。
 「オレ/ワタシがこんなにカッコイイのを見てくれヨ!」という裏メッセージがちらちらと見え隠れして鼻につくあたりに、問題があるのではないかしら。つまり、個性を出し過ぎた装いをしてしまいたくなる裏には、《自分濃度》が不必要に濃くなってしまっているのではなかろか。  
服装における独り言
 会話の際に「自分語り」ばかりしちゃうとしたら、それは《自分病》に感染して相手をナイガシロにすることであろ、ということを以前に書きました。
 それになぞらえると、「オレ/ワタシがこんなにカッコイイのを見てくれヨ!」という裏メッセージは、服における「自分語り」なのではないだろうか。
 その自分語りは、見えない部分で相手をナイガシロにしている感がぬぐえなくありますゆえ、人々に敬遠されてしまうのでは。
 要言し候へば、あまりにも自分を主張しすぎているだけの服はコミュニケーションを無視しすぎている。それは、会話の際に「自分語り」ばかりしてコミュニケーションになっていないのにも似て、服によって独り言をぶつぶつ呟いている、という感じなのではないかな。
甲冑としてのスマートな装い
 上に紹介した雑誌の記事でさらに面白かったのが、「モード服で固めすぎてて個性出しすぎ」に次いで不人気だったのが、「服装に全然気をつかわないで、不潔」という感じのものだったこと。
 つまり服装で個性を主張しすぎてても嫌だし、かといって気をつかわなさすぎるのも、嫌だということらしい。
 まったく人ってやつは、我が儘なんだから、さ。
 まとめると、そのアンケートから読み取れるメッセージは次のようになるだろう。「適度に服装には気をつけて、適度に個性を主張しながらファッションを身にまといなさい。ただし個性を主張しすぎたら自意識が鼻につくから失格です」といった感じ。こいつは厳しい話、だよね。
 自分の自意識過剰・自分語りは大好きなくせして、他人の自意識過剰・自分語りは許せない。そういう、良からぬ心のカラクリが見えてくるようでもあります。
 そういう次第でもありますから、大げさな言い方をすると世間からツマハジキ者にされないためにも、それなりの品位を保ちたる、スマートな服装をしていることは重要となります。が、気負いすぎて《自分》丸出しの痛々しさに嵌まらない、ということも重要なのです。
 格好をつけ過ぎても、格好悪過ぎても、どちらにしても目立ちすぎて問題があるということだとしたら、それほど目立たない形で適度に装っているというのが、人との御付き合いにとっては役に立つのかもしれませぬ。
 仏道とは中道なり。両極端を避けるスマートな中道ファッションが、見くびられもせず相手を威圧することもなく、すっきりとした交際関係を作り出してくれる、などと申しても的外れではありますまい。己の趣味を出し過ぎず適度に抑えつつ、かつスマートに装っていることこそが、自分を守り包む甲冑、鎧として機能し候はむ。
 私の場合だと、好みのパンク的な装いをするときに、いかに相手に不快感を与えない程度に、スマートに抑えるかということに留意しているような気がいたします。
「よそ行き」という風雅
 まだ知り合って浅く、付き合いはじめたばかりの御方と外出するとき、いきなりあまりにも個性的で奇妙な服を選ぶ人は、なかなかいないと思う。その初々しい気持ちというのは、相手に不快感を抱かせないように気遣いしながら服を選ぶ、という交際作法なのであります。
 そんなに個性があるではないけれど仕立てが良くて気に入っている服を着るとか、そういう細やかな心遣いが、《自分濃度》をほどほどに薄めつつ、品位を保たせてくれるのさ。「勝負服」などという品性の無い言葉もあるけれど、そうではなくて、「よそ行きの服」を甲冑として。そんな感じで。