家出空間 月読寺

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『考えない練習』(小学館)
感想文集



『考えない練習』のゲラを読まれたかたがたから感想文をいただきましたものを、匿名にて掲載いたします。







仕事・家事・育児でヘトヘトの毎日。
共働きなのに家事協力のない夫や、可愛いはずの子供に、なぜ、ついイライラしてしまうのか、そして、どうすれば無くなるのかが、住職の分かりやすい説明で、「なるほど!」と、よく分かります。

また、記憶力や勉強法などで、よく拝読していた池谷さんとの対談で、脳の仕組みとしても当然の動きの様で、「さすが住職!(仏教!)」と、うなずいてしまいます。

早速、インターネットばかりしている夫と、なかなか宿題に手をつけない子供に対して、「今、自分はイライラしている」と自己認識する練習から始めた所、驚くほど理性的になれ、口調も穏やかになり、イライラをあまり感じずに済みました。
相手も驚くほど素直で、ビックリ。
効果抜群です!

今後は、練習を積み重ね、まずは、反射的に出るイライラ(怒り)をコントロール(押さえる)できる様にし、次に、住職の様な、どんな状況でもイライラしない(感じない)境地に至りたいと思います。

この本(住職の教え)のおかげで、できそうな気がする(実現できている自分がイメージできる)ので、練習がとても楽しみです。(*^ ^*)  (兵庫県・37歳・女性)


たくさんの真理の言葉がつまった珠玉の一冊。
小池さんが今まで書かれた本のエッセンスが凝縮されているような、ある意味「ベスト版」のような濃い内容だと思いました。

「考えないこと」、「怒らないこと」、「『今ここ』の感覚に集中すること」、……小池さんが提案される理論はいつも日々の生活にダイレクトに影響するものばかりですが、本書ではそれらの理論の実践方法が、「見る」、「食べる」など日常生活の行為ごとにまとめられて紹介されているので、とても理解しやすく、これまで書かれたもののなかでも特に実践的な本だと感じました。

私は仕事をしながら、小さな子どもを育て、自分も育てている最中の主婦ですが、私が現在担っているどの役割においても、本書の内容を活用する機会は多くありそうです。
どんなときも自分の手綱を自分自身で握っていられるように、「話す」時も、「聞く」時も、「見る」時も、「食べる」時も、意識をきちんとその行動と感覚に集約させてみる。本質は非常にシンプルですが、刺激に溢れかえった世の中で育ってきた現代人には、実はそれこそが一番難しいことのような気がします。

「考える練習」は、私たちが「普段いかに自分の手綱を自分以外のものに明け渡してしまっているか」ということに気付かせてくれるだけでなく、それらを取り戻すために日々の生活のなかで実践していける方法を教えてくれる、とても価値のある本だと思います。

「こんな内容が1,365円だなんて、書籍ってプライスレスな存在だよなぁ……」というのが、この本を読んで感じた率直な感想です。 (大分県・35歳・女性)


本書のタイトル『考えない練習』をもう少し補足すると、『(余計なことを)考えない練習』あるいは『考え(すぎ)ない練習』になろうかと思います。

現代日本には、余分な「コト」やモノが多すぎる。その「コト」や「モノ」からどうすれば「自由」になれるか?
小池住職が示されているのは、暴走する脳を「五感」をフルに活用することによってコントロールすること。
本書では、それを身につける具体的な方法が、日常生活における所作を通じて語られています。

人間の所作は全てつながっているものであり、落ち着いた所作を行うことがすなわち、「考えない練習」であることを教える実践の書となっています。
本書で紹介された作法を、ひとつひとつ丁寧に実践することにより、ゆっくりとした呼吸で生きる時間を増やせることを確信するものです。
その意味では、「速読」には向きませんが、ゆっくりと読み、長く行動の指針とする本だと感じました。(東京都・47歳・男性)


合理化され、社会や人生のあらゆる事がスピードに乗っている今の世の中。
また人の欲がかきたてられ、自我が大きくなり、人が思わずそれに囚われてしまっているような感じのする今の世の中にあって、著者がこの一冊で述べている仏道の教えは、人がもう一度、自分と向き合ってみる、そんなきっかけをくれる一冊ではないかと私は思います。

「仏様がこう言われてるから正しい」という短絡的な理由から仏道を述べているのではなく、まるで心理学的な要素を踏まえながら、「話す」「聞く」「見る」「書く/読む」「食べる」「捨てる」「触れる」「育てる」という8つの観点から一つ一つ「仏道」というものを通し、人の心をつぶさに見つめていく筆者の語り口は非常に分かりやすく、自らの生活や心持ちを思わず振り返ってしまう、そんな一冊でした。

特に個人的には、現代社会では切っても切れない存在となった「ネット」に言及した章では、ネットを仏道の立場から見る、という視点からか思わず読み入ってしまいました。

また巻末の脳研究者・池谷裕二氏と著者の対談も、脳の科学と仏道という両者の見解が交わり、多岐に渡って語られており、非常に興味深く読ませていただきました。

タイトルの『考えない練習』という言葉にもある通り、自分自身ももっと「頭」(思考、妄想など)の支配する世界から抜け、身体が感じるリアルな感覚を感じ、今を有意義に臨場感たっぷりに生きていければ、と思いました。

思えば、幼い頃、幼稚園で友達と遊んでいた時なんかは、もっと身体の感覚だけで頭などはあまり使っていなかったようにも思います。
幼い頃に感じていた臨場感というか、そういう感覚を呼び起こし、感じさせてくれた一冊となりました。 (石川県・28歳・男性)


この本を読み、「気付くこと」がいかに大切かを思い知りました。
普段は無意識に行われがちな「考えごと」。
それらに意識的になることで、こんなにも見えてくるものがあるのかと驚きの連続です。

「自分では一生気が付かなかったかもしれない」と思うことも沢山書かれており、読んで良かったと思いました。

敷居が高そうなイメージだった仏道ですが、もっと日常的に心を律するツールとして取り入れて行けば良いのだと思いました。

人の粗を探したりお説教していたエネルギーを、これからは自分自身を観察し気付く力に変えていきたいと思います。 (兵庫県・28歳・女性)


面白くて一気に読んでしまいました。

余計なこと(妄想)を考えてはいけないと何となく分かっているのですが何故ダメなのか、理解できた。
そして、その妄想を止める方法を、会社、生活全般に渡って提示してくれているのがありがたい。

仕事柄、痛みに苦しむ患者さんと接する機会が多いが、痛みが「考えること」で増幅されるのが分かった。
患者さんにもすすめたい。 (大分県・47歳・男性・医療関係)


私は今まで数々の精神世界の本を読んできましたが、その時その時ははまり込んでインターネットで徹底的に調べたりするのですが、すぐに嫌になり本棚の奥へという日が続いていました。本屋さんになれるのではというくらい本でいっぱいです。
それというのも、読んだところで結局、日常が何も変わっていなかったからだと思います。

この本は読んでいて今までのように疲れることなく、心が落ち着くというか、まったく疲労感がなく、日常を変えられる本でした。
読みながら変わっていける体験型の本でした。

もちろん他の仏教も少しは勉強しましたし、いろいろ精神世界を辿ってきましたが、ここに落ち着いたという感じです。
読んでも読んでも何かモヤモヤしていたのが腑に落ちたという感じです。日常が変わらないと意味がないので……。

・ネガティブな思考が逆に幸福感と思ってしまうとか、発見でした。刺激しようとするとか、幸福になると思ってしていたことが逆で、なくすことで幸福になるのだと分かりました。

・微細な刺激を楽しめなくなっているというのも、なるほどと思いました。能動的にしていかなくてはいけないなと感じることができました。

・発散させたりするのは、カウンセリングみたいなものでいいことですよとかって流行っているけど違っているんだなと思いました。感情を単純に出してしまえばいいというのと、表面的には同じように聞こえるけど意味が違ってると思いました。

・「話す」のところでは相手を思いやる気持ちも出てきて、すごくいいと思いました。

・イライラすると生活音が大きくなるものと思っていましたが、大きな音を出すからイライラしていたのかと思ったり、仕組みがわかると解決できそうな気がしてきました。
一つのことだけ良くしたいというのではなく、全部繋がってるのだから全部を治すことが大切だと思いました。

・ダイエット本として売ってもいいくらいだと思いました。他のどんなダイエット本より効果があるのでは。そこから入って仏教も知って心も良くなればいいかもと思いました。

・最後の対談は、こんな実験よく思いついたなという感じで面白かったです。

・メールやインターネットのことなどもあって、今までの仏教本では触れられなかったことも触れており、現代にも使えるので嬉しいです。新しいブッダのようです。

たくさんの方に読んでいただきたい本でした。ありがとうございました。 (愛媛県・27歳・女性)


究極の心の指南書。(神奈川県・55歳・男性)


充実した内容で、多くの学びを得ながら読ませていただきました。
「考えない練習」とは思考停止することではなく、思考が作り出すノイズを静めること。
そうそれは、心を律して「正しく考える」ためのトレーニングだったのです。実際にこの本に書いてある日常のレッスンを続けると、心が軽く、思考もクリアになることが実感できました。
「より強い刺激を求めて暴走する心」をしつけることは、"思考病"に犯されている現代日本の私たちの嗜みなのかもしれません。

見る、話す、書く/読む、食べる――そんな日常の営みの中で"今ここ"に気づいて生きていくためのアプローチが、とても具体的に書かれていました。

折に触れてこの本を読み返し、思考のノイズに惑わされないで「今を生きていく」ための羅針盤としたいと思います。 (東京都・46歳・女性・フリーライター)


「考えない練習」をしていくうちに、だんだんと心が今に集中していき、今するべきことが明確になってきました。
いつでもどこでもできる練習だからこそ、実践しやすく、体感しやすかったです。
毎日の家事もどんどんはかどります。

じっくりと小池龍之介先生の本を読むことで、新たな発見がありました。  (愛知県・31歳・女性)


「心を如何に使い、如何に休ませるかを分かりやすく伝えてくれる実践的方法」

小池龍之介氏の本には、ブッダがこう言ったとか弟子のサーリプッタがこう言ったとか、そういう何らかの宗教的な権威に寄り掛かった話は一切出てこない。
本書においても、何らかの権威づけなどは一切ない。
そうではなく、ブッダが実践した原始仏教の瞑想を小池先生が自ら実践して得た、生き生きとした体験を基にした仏道的心理分析が述べられている。
また、その心理分析に基づいた心を休ませるための提案が丁寧に穏やかに心優しく述べられている。
小池先生個人の実践から得られた生きた体温が込められた内容となっている。

かといって、その内容は小池先生個人の瞑想体験談では決してない。
小池先生の仏道的心理分析とそれに基づいた提案の射程は、果てしないほど深遠であり研ぎ澄まされたものであり普遍的である。

私は、本書を読んでいて目から鱗が落ちる思いを幾度も感じた。
小池先生の仏道的心理分析を読むことによって、自分の心に新たな気づきが生まれ、徐々に自らの縛り付けられていたこころの鎖が解けて行き、心が解放感を味わう喜びを感じた。もやもやとした心の様々な想念が晴れ渡るダイナミズムを感じた。

現代は、インターネットを中心とした様々な媒体により言説が飛び交い、その衝動に基づいて消費行動をさせようとするギスギスしたノイズがあちこちに散りばめられている。
そのような中で、人びとは生きやすく楽しく生きているのかと言えば、全くそうではない。
逆に、絶望を抱えながら生きている方、心理的に不安を抱えながら生きている方、今この一瞬を何とか喘ぎながらぎりぎり歯を食いしばって生きている方々で埋め尽くされている。日本は決して幸せな社会ではないのだ。

そこで、小池先生のメッセージが届けられる。
「これ以上、思考と言う名の心を固く縛り付けている鎖を解こう。そして、休息しよう」と。
その実践方法がふんだんに散りばめられた本書は、まさに今苦しみながら生きている方々にとっての大きな示唆が深く豊富に込められていると言って良い。

繰り返すが、本書は高いところから何か難しい話によって、人びとを教条化する宗教的言説により人々を導くものでは決してない。
また、こころの仕組みを、難解な概念によってバラバラに分解し、じっと眺めるための無意味な学術的教条でもない。

深い深い仏道的瞑想によって洞察された人間の心の有りようを、うまく解き、心を安らかにさせ、鎮静化させるための実践方法が書かれてある。
具体的なツール本である。
如何にして心と言う名の車を、現実社会において効率よく疲れさせずに走らせるのか、そして如何に効率よく休ませるのか、その為の具体的実践のための本である。

現代を生きる人は疲れ果てている。そんな方々に向けて、小池先生は本書を書いている。
本書を読み進めていくうちに、小池先生が自ら導き手となって、私の心に身を添わせてくれるように書かれてあると感じた。とても優しい本である。
是非、疲れ果てた現代社会を生きる人々に読んでいただきたいと切望する次第である。(宮城県・36歳・男性)


この本を読んで一番印象に残ったのは、思考を調教する練習をすぐにでも実践してみようと思わせる内容だということでした。

まず最初に、思考についての基本知識が仏道を織り込みながら分かりやすく書かれています。
例えば「ノイズ」という表現方法。自分の体験を思い起し、心の中に発生するあの厄介な邪魔者のことなんだなとすぐにピンときました。

思考を調教する方法が9つのコラムに分けて書かれているのはとても分かりやすかったです。
話す・聞く・見る・書く・食べる・捨てる・触れる・育てる・眠るの9つに分類され、さらにそれらに対し、細かく項目をあげて、感覚を自覚する実践方法が実例を交えて書かれているので、頭を整理しながら一気に読み進めていくことが出来ました。

日常生活の中で五感に集中し、今、自分は五感のうちどれを使っているのかに自覚的になる練習方法は、この本を読めばきっと誰でもすぐに実践できるはずだと感じました。そうした取り組み易さにも親しみを感じます。

また、第3章の著者と池谷氏との対談で、脳と関連付けて、思考癖のことや笑いのデメリットと微笑みの効用などの内容はとても興味深かったです。

初めてこの本を読まれて実践される方から、既にヴィパッサナーなどの瞑想を実践されておられる方まで、幅広くすべての方にお勧めします。 (大阪府・56歳・女性)


日常生活において「考えない練習」の具体的な方法が示されており読みやすかったです。
自分の心を見つめ、丁寧に暮らしていくことで、生活そのものが瞑想になり得るのだなと感じました。
実際に取り掛かりやすい方法で書かれており、直ぐに試みる事が出来ました。

早速、考えない食べ方レッスンをしてみた所、ご飯の甘さに驚きました。
そして味わって食べると食事の量が多く感じる事も発見でした。
この事から食べることと味わうことは全く別なのだなと思いました。
他の項目も少しずつ丁寧に実践して行こうと思います。

常々シンプルで心地よい生活を心掛けたいと考えていますが、実践方法を扱った本は余りありません。この本は仏道的生活の核となる心の整え方の名著であると思います。

先々月に父の葬儀をとり行いました。ご住職の著書に出会えたお陰で慈悲の心で静かに送り出す事が出来ました。
無宗教である私にとって仏道は、より良く生きる為の哲学です。
ご住職に心より感謝いたします。 (埼玉県・41歳・女性)


とにかく、すらすらと読みやすく、自らの身体や自らの思考に関することが具体的に書かれてますので、終始興味深く読み進められました。

脳研究者の方との対談は意外とありそうでなかったのでしょうか、新鮮な感じがありました。違う視点が加わることで、世界が広がってゆくような。

もう少し具体的な感想としましては、以下の2点を特に感じました。

まさに「練習」するための本だと感じました。その気がなくとも、読み進めるだけで「ついつい」練習させられてしまっているのに気付きました。なにしろ、この本でとりあげられている、見ることとか、聞くことというのは、本を読んでいるその瞬間にも常に生じている刺激ですので。
それによってか、読むだけでも多少なりとも心が落ち着き、整うような感覚がありました。

もう一つは、ある種の自己啓発本に対して、なんとなく感じていた、腑に落ちなさ、不安定感、といったものが、どこから来ているのかが、この本での論理的かつ具体的な分析によりクリアになったように思います。
ですので、ある意味では、この本を地に足のついた「自己啓発本」ととらえてもいいのではないかな、と。
そのような本に対して根本的なところで求めている「何か」が、どのようなもので、自分はなぜそれを求めているのかが分かってくることによって、そのような本に対して本来的に求めていた方向へと進みだすことになり得る、という意味で。 (兵庫県・39歳・女性)


第2章の「身体と心の操り方」は、日常生活を送る上で、どういう点に意識を置き、どういう点に注意すればよいのかが、大変わかりやすくまとめられていました。

また、話す・聞く・見る・書く/読むの各項目に、コミュニケーションを上手に取るための練習要素がたくさんちりばめられていて、とても実用的な教科書だなぁと思いました。

坐禅セッションで説法を聞いていて、「こういう点に気をつければいいんだな」と思っても、時間が経つと、つい意識が逸れてしまうのですが、こうして系統立ててまとめられていると、いかに、毎瞬が煩悩生成に繋がっているか、という事実が、改めて実感でき、自身の課題を自覚させられました。

装丁も、これまでの本のデザインとは違い、穏やかさが漂っていて、ステキだなと思いました。

また、池谷氏と小池住職の対談も、臨場感に溢れ、医学的見地と仏道的見地のやり取りが、とても興味深かったです。

繰り返し読んで、心に定着させ、意識的に毎日を過ごせるようにしようと目標ができた感じです。わかりやすく、生活の中ですぐに使える実用的な本を読ませて頂き、どうもありがとうございます。とても良い本ですね。 (千葉県・31歳・女性・自由業)


小池先生が書かれた書籍を何冊か読んだことのある者にとっては、書かれている内容自体は馴染みのあることが多く、新しいものではなかった。
しかし、六門を意識して使うことを、日常の基本的な動作に、体系的に落とし込み、分かりやすくまとめられているために、これまでの理解を助ける本になっていることは間違いない。

小池先生の本を読んだことがない者にとっては、現代の心理学的、コミュニケーション学的アプローチの強い側面を見出すことができ、自然と仏道に触れることができる本になっていると思う。

現代人の目線に立って、しばしばリアルな生活感と共にどう仏道を生かすことができるかを描かれている。

このように仏道を世間一般の人が持つイメージと違った形で、非常に有用なものとして伝えていこうとするやり方に、非常に共感を覚える。仏道は近代的な心理学やコミュニケーション学を包括した奥深いものなのだと。
そのやり方は巻末の対談にも言えることで、凝り固まった一点からのみではなく、非常に現代人が入りやすい視点やアプローチを取り入れている。
そういった点は非常に興味深く読みやすい点であった。  (東京都・27歳・男性)


常に頭の中で話し続けているということに気づいて以来、その無益な行動を何とかできないものかと、さまざまな本を読んでみました。
それらの本には「内的沈黙」「思考をとめる」「脳内のおしゃべりをやめる」などの表現があり、頭の中の無駄なおしゃべりをやめることができるらしいことはわかったものの、さて、どのようにして、という具体的なことが書いてありません。

この「考えない練習」にはその方法が極めて具体的に書かれており、求めていたものに遭遇したという安堵感がありました。頭の中のおしゃべりをやめるには「身体感覚」が鍵となるようですね。練習を続けてゆきたいと思います。

ただ、30ページの表題「感覚に能動的になることで、大脳は活性化する」とありますが、この節には「大脳が活性化する」ということに関する記述はなく、さらに、最後の対談で小池さんは「脳教」という言葉をつかって、現代の風潮を揶揄しておられますことから考えますと、この表題には少なからず、違和感を覚えました。 (神奈川県・57歳・女性)


考えることが、頭を疲れさせてしまうということは、この本を読む前からなんとなく感じてはいました。

この本、というよりは小池さんの本を読むようになって、確かに頭で色々と考えてしまうことが人生を暗くさせているのだなあ! そして、自分って実にいつもぐるぐるとしょうもないことを考え続けているのだなあ!! と思うようになりました。

でも、思うのと実践できるのは別で、どんなに頭で「考えない考えない」と思っても全然うまくいかない……この本は、そういう意味から言うと、項目別に実践方法が書かれていて、取り組みやすかったです。

特に印象に残ったのは、感覚を能動的に行ってみる、というところでした。「見えている」という受動的な状態と積極的に見るという能動的な状態。思い当たることがありました。

私は看護師をしているのですが、仕事をしているときは排泄物を「汚い」とはあまり思いません。たとえ、うっかり手についてしまっても「嫌だ」とは思わないことが多いです。
しかし、仕事を離れて、道に排泄物が落ちていたら「汚い!気持ち悪い!」と思います。
もし、踏んでしまおうものなら卒倒しそうに不快になります。今まで、そんな自分の感情が不思議でした。

でも、それが「見えている」と積極的な「見る」の違いなのかなあと思います。仕事のときは、排泄物をなんとかしなくてはならない状況だから、積極的に見ざるを得ません。対して、道を歩いているときは別に目をそらしても構わないから「見えている」に過ぎない。こういうことなのかなあ??? こういう実感があると、それを広げていきやすいです。

私、そして多くの人は、ほんの少しずつしか進んでいけないでしょう。本当に少し。
でも、進み続けるために、こういう小さな実感を積んでいきたいです。 (東京都・30歳・女性・看護師)


絶えずしゃべり続けている心のおしゃべりを静めるための具体策が分類されていて、大変読みやすかった。

普段、いつも考え事の中に埋没し、身体はただゾンビの様に動いているだけだったのかと、「ハッ!」と気づかされました。
物忘れが多いのも、心のノイズが多く集中していないせいで記憶が曖昧になっていたからだと納得出来ました。

ダイエットからボケ、誤嚥防止、はたまたコミュニケーション、経済にも役立つこの一冊は、現代の万能ツールと言えるでしょう。
 
小池住職のご本や座禅会での法話で見聞きした内容が大変判りやすく分類されていて、初めて住職の本を読まれる方にも、他の本を読まれた経験のある方にも「考えないお稽古」のための教科書として使いやすいと思います。

日常、『怒らない』修行中ですが、『丁寧な言葉遣いで棒読み』は、正に自分の事でございます。自分の荒れ狂った感情に無理やりふたをしているから……確かに、慈悲の念が足りないようです。
苦悩なからんことを、安穏たらんことを(^∧^)  (東京都・50歳・女性)


「安易に考えないこと」。
一週間の坐禅合宿を終え、いよいよ日常に戻るという時に小池住職から「俗世のサバイブに」と頂いた言葉である。

現代資本主義社会をビジネスマンとして謳歌する一方で、それが常に誘発する危険を孕む「思考病」と、ご多分に洩れずずっと持病として付き合い続けてきた私は、以来折に触れその言葉に立ち戻り俗世サバイブを試みている。
合宿でお話し頂いた際も目から鱗であったが、今回更なる洞察を加え、改めて「思考病」の本質と、それを克服するための「脳に引きこもらず、眼耳鼻舌身意の六門の感覚そのものにとどまる具体的な身心の操り方」を体系的にかつ解り易くまとめて頂いたおかげで、冒頭の言葉の意義を、より深く体感できたのを感じる。

さらに、巻末の脳研究者・池谷氏との対談を拝見し、改めて小池式仏道は宗教ではなく合気道などの「道(どう)」の一つだとの確信が深まった。
池谷氏の言葉通り、それは「汚れた解釈やウェットな感じ」とは無縁で、実践者誰もが自らの体感により実証しながら精進できる徹底的にサイエンティフィックなものなのである。(東京都・39歳・男性・会社経営)


脳研究者との対談も掲載されていて時流に乗っているなと思いました。

P23の「ノイズの方が現実感覚に勝利した時、人は呆けるのだと思われます」という行は、脳研究者と対談を巻末に付録としているのであれば、専門外とはいえ、もう少し認知症に対する科学的知識を踏まえたうえでコメントされた方が、(私が思う)読者層を考えると良いように思います。

内容は、これまでにも言われていることをより分かりやすく書かれていて、また、宗教臭さが薄くて一般読者もとっつき易いと思いました。
コラムもよかったので、著者の挿絵などあってもmuch betterと思います。

座禅のような瞑想は、指導者のもとで行わないと危険なこともあると思いますので、この点において著者の意見も記載されていると良いと思います。

本の主旨は、休脳というよりは、実際は、「正しく脳を使う」、「意識レベルを上げる」という感じでしょうか。
(石川県・41歳・女性)


私は、怒りっぽい自分に嫌気がさし、怒る事をやめたいのにやめられない自分にさらに落ち込むという悪循環に陥っていました。
また、目の前が平穏な時にもなぜか過去の嫌な事が思い出され悲観することがあり、これも止められなくて悶々としていました。

この本で、怒りや不安、心配などネガティブな事でさえ、心は快感として捉えてしまう性質があるから苦しい事もやめられなくなってしまうのだということを新しく知りました。
そして、その無意識の心のプログラムを、自己観察をすることによって組み替えることができることがわかり、希望を見い出せました。
それらストレスをコントロールする具体的な方法が詳細に書いてあったのですぐに実行しました。続けていきたいです。

また、脳研究者である池谷裕二さんとの対談では仏道や瞑想が脳の働きの科学的側面からも語られることにより、それらが宗教的なものというより、苦しみを快楽と捉える心の働きを組み替える為の実用的な技術であることが明解になり、より実践しやすくなりました。 (山形県・31歳・女性・公務員)


幼少の頃、寝る前にいつも「今の僕の宝物は何か?」と考え、確かめる癖があった。
それは最近買ってもらったミニカーであったり、プラモデルであったり、付録付きの雑誌であったり。
"最近"買ってもらった新しい宝物がないと、酷く不安になりとても胸が苦しくなっていたのを覚えている。

あの頃から、「宝物」はお金であり、家であり、車であり、子供への夢の押し付けへと変化したが、現状を認識すると、不安になり苦しくなる状況は何ら変わっていない。
小池氏の語る「自分の株価」である。
幼少の頃から、自分自身の株価をそれらの「宝物」で上昇させ様と必死にもがいていたのである。

また、あれこれ不安要素を持ち出し、頭の中で巡らせ続け「心ここにあらず」と言う事が日常茶飯事で、「気疲れ」が多いのは自分自身だけであると悩んだりもしたが、本書により、心のプログラムとしては当然であった事も分かった。

本書では仏道の基本を現代人の心の病と照らし合わせ、どの様に対応していくか具体例を要所に用いて分かり易く説明されており、実戦向きであると思う。

本当の「宝物」の意味に気付かせてくれた本書に出会えた事、それが私のこれからの「宝物」となった。
(大阪府・42歳・男性)


「考えない」という言葉もある意味刺激的(というかタイトルの妙)でした。
ひと頃、池田晶子(哲学エッセイ)をよく読んでおり、そのうち一冊の帯文に「悩むな、考えよ」というコピーがあったのを思い出し、果たして「考える」ことは仏道的に善なのか悪なのか、というような興味がありました。

本書を読んで、「考える」ということは「(思考)病」「煩悩」「思考ノイズ」「心の衝動エネルギー」などの言葉に置き換えられるものだったんですね...!
「ネガティブな刺激に思考が割かれる」ことに深〜く合点するも、読後の数日間あいかわらず煩悩をコントロールすることは難しく、日々是修業。

自分の感情に「」カッコをつける、という言い回し、ピンとこなかったのですが、「思いましたとサ」←という例にウケたり(笑)、耳のもとい目の痛いくだりも多々あり...「慢」の煩悩とか。
思うに、男尊女卑的な環境下では女性としての煩悩もやっかいだなぁ、とこれまた「一切皆苦」の心境です。
瞑想、深呼吸、微笑の必要を切に感じました。

表紙の写真、癒されました(笑)。
巻末の対談も非常に興味深くて一気に読みました。 (静岡県・39歳・女性)


小池さんの著書はすべて読んでいるのですが、今回の「考えない練習」は、内容はみっちりなのに、読んでいてなぜかすっきりと、とてもわかりやすい印象を受けました。

実生活において、よくする動作(「話す」「聞く」「見る」等)によって章がわかれているので、読んでいる最中も、読んだ後も、まさにその動作中に思わずしてしまっている考えごと"思考病"になんどもハッとさせられました。

今この一分一秒の動作に直結している内容なので、「いつかやればいいや」とあとまわしにする隙がありません。
読んだ先からもうすでにし始めている、という事実に気付かされ、即座に実行しなければ、と自分をごまかせない点がとてもよかったと思います。

たとえば、早速この感想も、まずは、手書きで書いてみてからお送りしよう、と決めました。すると、ペンをもって「書く」という動作も、ものの2分もたたないうちに、しんどくなってイライラし、キーボードをババババっと打ってしまいたいという衝動にかられました。昔はそんなことはなかったのに、いつのまに辛抱とさえいえないようなこともつづけられなくなっています。
こんな身近なこと1つをとってみても、ふだん、いかに手っ取り早く、思いついたまま、思うがままに行動しているかということがよくわかりました。そして、その症状は年をとるにしたがって、どんどんひどくなっていっているなあとも感じました。
これをきっかけに、ひとつひとつ見直してみようと思います。

小池さんの本を初めて読んだとき、とても驚いたのは、とにかく自分の頭の中がスッキリした点です。
それは、それまで感じたことのない、なんともいえない爽快感でした。
汚いごちゃごちゃの部屋を片付けてもらい、整理整頓、そして隅っこにたまったホコリまで、一気に取り除いてもらったような。---実際には、掃除そのものではなく、部屋が乱れているという指摘や気付きをもらっただけなのだろうとおもいますが("アナタの部屋はこんなに汚くてごちゃごちゃしていますよ、だからこういう手順で掃除をしていったらどうですか、ああ、隅っこにホコリまでたまってますよ"というような)---でも毎回、そして今回の新刊はとりわけ、読んだ後、やはり掃除してもらったかのようにスーーッとしました。

小池さんの本は、まじめなことが書いてあるのに、思わずふきだしてしまうことがよくあります。
それは、絶妙なたとえの表現や、自分だけかなと思っていたような身近すぎる心情が、例がとりあげられていて、それがスパスパと鋭い視線で切り込まれていくのが、とてもおもしろいからです。
誰もが心当たりがあるんだけれど、はっきりとは気付いていないこと(言われると「そうそうそう!」と膝を打ちたくなるような)や、逆にまったく気付いていないこと(あとからじわじわとボディブローのようにきいてくる)の描写に、私はいつも、「わかる、わかるわ〜」「そうか、そうだったのか〜」を連発しながら読み進んでいます。

微に入り細に入り説明され、その言葉は、心のすみずみまで浸透していく感じがします。気が付いたらいつのまに、自分のこんがらがったものがほどけていって、同時に、それまでなにかバラバラだったものが、一つにぱっと定まった感じがします。
そこに書かれていることを心から納得し、自然に素直に実行してみようと思えてきます。

はじめは、仏道ってこんなに実用的だったのか、ということを意外に感じたときもありましたが、今はむしろ「これは仏道の教えです」みたいな壁を一切感じさせない、自然さと奥深さこそが実は仏道なのかもなあと思います。

とはいっても、自分のこころを甘やかさず、酔いもせず、ちゃんと観察し生きていくのは、実際、とてもむずかしく、強くなければできないことだと思います。(いまも、思わずおやつに手が出そうになってしまいました...。ハッ。)

でも、もう自分をごまかさないぞ、強く正直にむきあっていくぞ、というしっかりした指針ができたことだけでも、とてもうれしい前進だと感じており、そしてこの指針は、きっと時間がたっても大きくはぶれないだろうなという気がしています。 (神奈川県・30歳・女性)


表紙の写真のような表情をしていらっしゃる姿が、とても好きなのです。
安らいだ心持ちになれますから……。

いつもの口調そのままに穏やかな文章は、身体のすみずみに染みわたって流れ込んできます。
「能動的」ということは、謙虚であることと切り離せない、と感じました。

今の世の中、人はあまりにも多くのムダなことを「考えさせられ」て、思い上がっているのかもしれません。相手が人でも現象でも食物でも、丁寧に向き合うとき、ほんとうに考えるべきことは僅かなのだと気付けるのでしょうね。

聞き慣れない仏教用語には敢えて立ち止まらず、これなら自分にもできそう……ということを、今その時に言動に移していきたいと思うのです。 (埼玉県・30歳・女性)


人と話をする時つい緊張してしまう、だめだと思いつつもつい食べ過ぎてしまう、仕事や勉強に集中できない……このような悩みを持っている人は多いと思います。
私もその一人です。

この本は、日常生活の様々な事がうまくいかない原因を、あれこれと考えすぎてしまい実感を鈍らせているためであることを分かりやすく解説し、思考を無駄に働かせずに五感を活性化させる事で、物事に集中して取り組む方法が示されています。

引き合いに出される例は対人関係や恋愛、インターネットのブログ等、分かりやすいものばかりで、多くの人が関心を持って読む事ができるものとなっていると思います。
提案されている様々な問題への対処法も、会話をする時は自分の声を観察し、相手の表情をよく見る等、すぐに実践できるものばかりです。

この本に書かれている事を少しずつ実践し、心のコントロールができるようになればよいなと思います。 (東京都・24歳・男性)


非常にわかりやすく実践的な内容で、わくわくしながら読み進めました。
この本を読んで、いかに日々の生活を「考える」ことのみで送っていたか気づきました。
そして、そうすることで自分でストレスを作り出していたということがわかり、とても驚きました。

身体と心の情報をキャッチすることが習慣になるよう、この本に載っている練習を続けます。この新しい習慣が身につけば、今までの「自らイライラや不安を生じさせていた生活」とは明らかに違った生活になると思います。
これからの自分の変化が楽しみです。

また、最後に収録されている小池住職と脳研究者・池谷氏との対談は意外な組み合わせで、ドキドキしました。 (東京都・45歳・女性)


まず表紙の写真がとても印象的でした。
春のまったり昼下がりのかんじで、バスに揺られとても気持ち良さそうで...
こちらまで癒される、まさに「休脳」のイメージにぴったりでした。

本の構成もシンプルな動作のカテゴリーごとに分けてあり、非常に読みやすかったです。
それぞれの内容がすっと入り、理解が深まりました。
また読み返したいなって思ったときも、分かりやすくて便利だと思います。

目次を見ていて衝撃的だったのは、「ありがとう病」という所でした。
思わず目がとまり、早く先を読みたいなぁと思いました。

小池ご住職の著書はほとんど読んでいますが、この本には「慈悲の瞑想」にまつわることがたくさん出てくるので、とても勉強になりました。
そのなかでも「慈・悲・喜・捨」に、感謝と謝罪にあたるものがないというところです。
やはり事実に反して思ってもないのに、言葉だけ空回りさせるのには気をつけようと思いました。

あとは「縁起」のところです。
<何事も全ては繋がっている...>
私はコミュニケーションに偏りがあるのかなぁと考えさせられました。
興味がある人や音だけしか聞いてないのかも?
うーん、耳が痛かったです。
これからはもっとリアルに注意して聞いてみようと思いました。

それと、考えるって漠然といいことで賢いことだと思っていました。
でも無駄な思考のせいで、身動きが取れなかったり時間とエネルギーを余分に割いていたかと思うと。
無知......本当に怖いなぁと。
それに、じゃあ今まで何考えてたかって思い出しても自分のことばっかなんですよね。
どうしよう? という心配も保身だったりして。
守ることで余裕なくていっぱいいっぱい。
それに現実を直視したくなくて自分を騙しだまし、都合よく変えているっていうのも...ありです。

あと世間でいう、明るい暗いの価値観も何だか違うんじゃないの? と私の中で変わりつつあります。
お笑い番組ではしゃいだり、ハイテンションでいることが明るいんじゃないんだなと。
穏やかでリラックスした心持ちをめざしたいです。

それと私は「自我」の意識がやっぱり強いんだと再認識できました。
<観察結果を自我にフィードバックさせない>
隣の席でため息ついた人がいたり、機嫌が悪い人とかに過剰反応する癖があるんです。
「えぇっ?わたしが悪いの?」って。
相手の期待に応えたいこともあるし、安請け合いも多いです。

本を読んでいて、あるある!とうなずいてしまうことばかりでした。
それでも、小池ご住職の本に出会えて仏道を知り、瞑想をするようになり、「今」に気づける機会が増えました。

おかげさまで、以前に比べトラブルや悩みが減りました。
あったとしても解決が早くなったというか...。
だから少しでも多くの方に仏道を知っていただきたいです。
仏教って宗教? って抵抗を感じてしまう人少なくないと思うのです。
でも仏道っていう新たなジャンルがあるんだよーって教えてあげたいです。

最後になりましたが、今回「対談」という形式が初めてだったので新鮮でした。
それも今流行の脳科学者の池谷氏ということで、豪華なかんじですごいなぁと。
中でも「DMN」に興味がありました。
内観が科学的に実証されるんでしょうか...。
将来が楽しみです。 (埼玉県・34歳・女性)


初期仏教の教えを現代の人に理解できるように考えられた文章でわかりやすい。
が、ここに書かれたことを実践するのは難しい。
いくら「五感に集中しよう」と決めても心の癖というか、心の回転の渦に巻き込まれてしまうからである。
いわば二人羽織りのようなもので、意識しないところで心はさざ波のように波うち、いつしかそれが大波となり翻弄されてしまう。

しかし、人間はそういう心を持って生きていくしかない。どこにも希望はないのだろうか?
この本は、その希望を提示している。
池谷氏との対談にある「意識に自由はないが、脳に支配されていることを認識することで拒否権が生じる。自由意志はないが自由否定はある」というコメントが印象的である。
自由否定ができるということは、心のエネルギーを束縛からの解放に向けることもできるということである。
困難だが不可能ではない道である。

人は知らない間に「自我=私」という型にはまり、気がつくと「私」というものが形成され、人として生きていく。その「私」が「私という心」を認識することで「私」という型から離れることが出来る。この本はその方向性と道筋を示している。
一切皆苦の輪廻世界から抜けるための一筋の光明となる本である。 (千葉県・48歳・男性)


還暦に手が届くまで愚かに生きてまいりましたが、わたしの苦しみは「脳内ひきこもり」から、生まれてきているかと、気づくことができました。

これまでの人生の『ツケ』を背負いながらのこれからの日々ですが、五感をとぎすまし、一瞬一瞬に心を集中させて生きる練習をしてみたいと思うようになりました。

自分がいかほどの状況になれるかは別として、そう努力することで自分の愚かさに気づき続けることはできそうに思います。 (茨城県・59歳・女性)


今回のお稽古には「座って集中しましょう」のページがありません。
これ、けっこう大きいポイントでした。
今でも毎日でいっぱいいっぱいだと思っているのにそこにさらに座る時間を、といっても、もう新しい習慣を入れるスペースありません。
脳内飽食状態ですから。プラスアルファは無理です。

でも今回のお稽古は座って集中に専念、のページがありません。日々の所作、習慣のなかで「これ、しないでおきましょう。削りましょう。削って置き換えましょう。」という、思考の脳内置き換えダイエット。

「座らなきゃ! やらなきゃ! 時間作らなきゃ! 座れる服に着替えなきゃ! うわーっ!」という脳内暴走によるプレッシャー無く贅肉落とす努力ができます。

そうこうしているうちにあれもこれも無くても大丈夫!と思えるようになってきたので心持ちもゆったりし、そのうち、座って集中する時間もとれるようになる予感です。
 (神奈川県・40歳・女性)


幼い頃、母や小母が同じ話をえんえんと続けているのを傍らで聞いていた。
ほとんどが愚痴だったのだが、当時どうして飽きずに続けられるのか疑問だった。
それなのに、気がつけば私の頭の中も同じお喋りがエンドレスに流れつづけている。
なぜ、そうなるのかをこの本がわかりやすく教えてくれた。

考えないでいようとしても考えてしまう心の不自由な仕組みや、自分の人生の大半が思考のノイズで成り立っていたことに気づくのはショックだ。
「今」がぼんやりにしか感じられなくなっている。
原因は怒り、欲、迷いだ。その中でも特に私は怒りに支配されている。
最近まで怒らない方だと思っていた。悲しいだけだと。悲しみも怒りがベースになっていることが解らないでいた。

小池住職の語る原始仏教は、過去に乗っ取られた人生を減らし、「今」に生きる方法を教えてくれる。
目・耳・鼻・舌・身の五感の集中を通して、50歳を間近にした今、残りの人生を微笑みながら少しでもクリアにしていきたい。(東京都・49歳・女性)


いかに、自分がボーンヤリ、漫然と生きているか、ということに気づかされました。
「手をつないでいても、考え事をしていたら同じところにいない」「余計な口応えは慢の煩悩のせい」など、「なるほど……確かに。自分もやっている……」と納得・共感する文章が多々あり、赤線を引きつつ読みました。

また、「五感の情報よりも思考を重視しすぎた結果が呆けである」という考え方に触れたのは初めてで、衝撃を受けました。予備軍……。
「恋人と仲良く過ごすには、いま何ができるかを考える」というのは、わかっているつもりでも、改めて文章で目にすると、自分は全然できていない……(怒や欲の雪合戦状態。がーーん)と気づくきっかけとなりました(改善できるのか、いささか不安ですが)。
 
今回の著書は、具体的な例やアドバイスが豊富なので、わかりやすくて良いなあと感じました。
たとえば、私は教員をしていますが、自分の授業展開に自信が持てずにいます。
第2章で、
1、相手に余計な苦しみや刺激を与えない
2、常に自分自身の声に耳を傾ける
3、途中で一拍おく
 などのアドバイスがあり、やってみたいと思いました。
ただ、2については、話しながら声を聞こうとすると話す内容を忘れてしまいそうで、まだ実践はできていません。

ほかにも、私が読んでいて特に印象的だった箇所を要約して挙げますと、

自分の感情をカギカッコでくくり客観的にみる
相手にとって有意義でないものは無駄話
嘘をつくと記憶力や明晰さが衰える
物事はすべて因縁によって結びあっている(「星座をなす星々のように」というくだりが素敵でした)
コミュニケーション上のすれ違いは、自分が相手の犠牲になっているという妄想のせい
自分の姿が相手の目に映り、常に相手を刺激している
自分じゃない、と思いながら出す憎悪が、本当の自分
何かがほしいというのは、それがないと不安だという気持ちの裏返し
心配というのは、わがままな趣味のようなもの
認知することによって人は成長する

……などです。

「ブッダが感謝をしている記述がない」「怒る=胃を狩る」「ブログの更新をマメにしている人ばかりではない」というこぼれ話(?)や、ところどころに「がーん」「がびーん」「クルクル」などの楽しい刺激が入ってくるので、飽きずに読み進めることができました。

音を立てないで動作する
嘘をつかない(必要以上のありがとうを言わない)
普段から、「自分はこう言われたらこう反応する」というパターンを予想しておく
なるべく、相手の自我を刺激しない

……などのヒントは、煩悩の沼に住んでいるような自分でも比較的、実生活に取り入れやすいと感じましたので、実践していくつもりです。
すでにやってみて、効果のあったこともあります。

1 先日、親しい人との話がこじれて煩悩丸出しになった後、時間が経っても心が波立っていたので、日記にその時のやり取りや感情を書き出し、自分の考えを欲、怒り、迷い(迷いへ分類する感情はどのような物なのか、私はまだ理解ができていないのですが)に分解してみました。すると、あまりにたくさん出てくるので少し愉快になり、同時に心も少しずつ落ち着きました。

2 私の身の周り(部屋や家全体)は、実家にいたころから雑然としており、大学時代に1人暮らしをしていたアパートも彼に引かれるほど散らかっていました。しかし、就職後に引っ越した今のアパートでは、極力、時間をおかずに出した物を片付けるようにしました。
すると、視覚に入るノイズが減ったためか、以前よりは穏やかに過ごせるようになってきた気がします(今思えば、大学時代の自分は今以上に適当な生活を送り、すさんでいた……)

疑問に思ったこともあります。
漫然と過ごす時間を減らすために、たとえば「聞く」ことに集中しようと思っても、帰宅途中に歩きながら、もしくは地下鉄を待っている時間などにそれを行おうとすると、他への注意がいかなくなり、危ないような気がしてできません(たとえば他人にぶつかるとか、地下鉄が来てもすぐに乗りこめないなど)。「いつでもどこでもできる瞑想」と書いてありましたが、どのようにすればよいのでしょうか。

自分をコントロールするには練習を積まないといけないし、すぐにはできなさそうな内容(丁寧に作られたものを食べる、など)も多いので、本の内容を一気に実践しようとすると挫折してしまいそうですが、手元において、ゆったりと時間をかけて何度も読みたくなるような本だと思います。(愛知県・24歳・女性)


小池さんの著書に書いてある内容は、よく考えると難しそうなことなのに、なぜか「今からやってみよう」と思わせてくれるところが面白いなと思います。

著書から伝わってきたことは、「頭の中で勝手に考えないようにする」ということでした。これを少し意識してみると、普段は頭の中で勝手に考えが浮かび、常に自分を苦しめていたんだなぁと発見がありました。

読み進めるほど、気持ちの動きが自分を苦しめているとわかり、「なるほど」と納得いたしました。(埼玉県・28歳・女性)


この本は、普段行っている、見る、聞く等の行為について、良いやり方を教えてくれます。日頃の生活に、仏道的エッセンスを取り入れるのに役立つ内容です。

私はひとつひとつの動作を丁寧に、自覚的に行うことから始めようと思いました。 (北海道・29歳・男性・公務員)


「仏道」というと、修行、坐禅、瞑想などという言葉を連想しがちですが、この著書では、「日常生活の中の仏道」が具体的に記されていて、読み終わった直後から活かせる内容だと感じました。

これまで当たり前のようにしてきた習慣を見直し、毎日を丁寧に過ごしたい気持ちになりました。 (千葉県・31歳・女性)


穏やかな気持ちで読み終わることができました。
最後の対談で、尊敬する研究者の池谷さんと、とても有意義なお話をされた事が感じられました。

まず、本文についてですが、身体・行動の面からまとめられており、「あ!」「あああ〜」と、思い当たる点が数多くありました。
大きな悩みごとに発展する前の、小さなつまずきを修正するためのご指摘が多く、これまでなら胸が掴まれるぐらいの苦しい思いで読むこともあったのです。
でも今回は、事例として挙がっていることが、すぐに修正できる、広範囲に応用の効くものがテンポよく並べられていたので、読むうちに気持ちがクセづけられていくように感じました。

日常の生活では、ときどき感じている違和感に、どうしたらよいのだろう? と思いながらも、次の行動を起こしてしまいます。
その違和感を自らひもとく手掛かりの本になります。
そのとき気になる項目を探せる、最後の表は、手掛かり探しに役立ちそうです。

特に気になったこと、「善友」は、自分の現状からいろんな人が頭に浮かび、これまでとこれからを考えました。
とても大事なことだと思いますが、「どうあるか」がわかる、これがスタート地点だと思って、ひとつひとつ修正していこうと心にとめました。

対談について、実は最も楽しみにしていました^^
池谷さんのことは、以前から著書や対談集で、脳の仕組みからのお話、読ませていただいていました。
ここにきて、小池住職と対談されるとは、新鮮な驚きです。
読む前から、わくわく(心が揺れてました)。
冒頭から、「おお!」と思いながらも、「報酬系」の部分では、快と不快は競合/相乗的に働いてるのかしら?
対談の途中からは、ペンシルを口にくわえて読んでみましたところ、とても楽しく読むことができました(笑)

「DMN」から「生き物としてどうか?」という最後のほうのながれでは、面白い命題がでてきたなぁと思いながら読んでいました。
反射を鍛えればいいなど、お二方とも同じことをお話されていたことが、自分としては安心した気持になりました。
それは、これまでそれぞれの著書で納得してきたことは間違いではなかったのだなと、思ったからです。
これは「慢」の安心感かもしれません(^^ゞ

池谷さんによる、実験・論文をあげてのお話に、仏道的観点からの解体・肉付けによって練られていくさまに胸がドキドキしました。

最後は、とても穏やかに読み終わりました。 (大阪府・30歳・女性)


「考えない」=五感を研ぎ澄まし、ありのままの今この瞬間を、丁寧にじっくり味わうこと。
それが、穏やかな幸福感の中に居られるための土台になるのだなあと、しみじみしました。

「なんとなく不幸せ」という気持ちを、より強い刺激を自分に浴びせることで、ごまかすのではなく、自分の思考や行動のパターンを細分化、自覚化してみる、そのための具体策が、仏道のエッセンスと寄り添いながら、記されていると思いました。

そして、本書を読んで、特に心に残ったことを申し上げますと、一見、なんの接点もないように思われがちなことも、すべてつながっているということです。
自分の思考や行動が、影響し合っているということ、そして、他とも影響し合っているということ、そのことにも自覚的でいようと心に刻むことが出来ました。

個人的に、仏道を教育(本書にもありました「育てる」につながると思いますが)の基盤として取り入れたいと考えているため、本書では、そのことについて、少し掘り下げて述べてくださっていたので、参考になり、仏道の実用性の高さを改めて感じた次第であります。(群馬県・29歳・女性)


私は偶然、古本屋で手に取った本がきっかけで小池さんの著書やホームページを愛読しております。

小池さんの説かれる内容はいつもあっさりしていて、それ自体が幸福感や、「仕事術」のような自己啓発本を読んだときのような「やるぜ!」みたいな高揚感を与えてくれるものではないようです。

しかしそういう感情の高ぶりの無いシンプルな心の持ち方を試してみると、人の話が素直に聞けるようになりましたし、どうでもいい物忘れやうっかりが減りました。結果として、仕事術のような物も少し身についてきたりして、回り回って日常を幸せにしてくれているように思っています。

今回の著書では、日常の行動の種類に分けて書かれているので、読んだ事を実践してみやすいのではないでしょうか。

対談については、以前『海馬〜脳は疲れない〜』という本で池上さんと糸井重里さんの対談を読んだ事があって、ついそれと比べてしまいました。今いち話が噛み合っていない所があったようにも思えたのですが、とても興味深かったです。また別の方とも対談を読んでみたくなりました。(東京都・19歳・女性)


近年、急速な情報化の流れで情報化社会の現状に翻弄されてしまい、その変化に対応し難い人が増えているのは間違いない事実だと思います。

身近にパソコンや携帯電話が置かれ、インターネットの環境を飛び交うメールそしてブログなどに翻弄されているのは他人の問題ではなく、自分自身の問題でもあります。
情報社会では情報の内容を知れば知る程更に知らなければならない情報が増えてしまうジレンマを抱え、自らの頭を混乱させます。

そんな現代の環境で筆者は仏道の基本となる、「自らの心を制御する術」を単なる知識だけではなく実践の方法まで説き、その術として身体の五感にシッカリと意識を集中させる方法は多くの読者の頭をスッキリさせられると信じます。

日々、人との係わり合いの中で「思考」が条件反射のように刺激を求めて振舞うのに対して、少しでも客観的に自らの「思考」を観察して可能な限りの「心の制御」を実現したいと願っています。

もし私がこの本のサブタイトルをつけるとすると、「情報化社会における煩悩のしつけ方」とでもしましょうか?

<補足>
小池龍之介氏の著作を読むのは今回で四冊目です。その中で最も感銘を受けた作品は『仏教対人心理学読本』でした。この作品のテーマよりも解説されている「無我」を認識する道のりがとても心に残り、その後様々な場面でその道のりを思い出し検証しています。

今回の作品テーマは「個人の頭の中をスッキリさせる」目的であると理解しましたので「無我」に対しての記述は少なく、感覚を集中させ「思考」が暴走しないよう実践に重きを置いている、と感じています。『考えない練習』で、その目的は「充分達成されている」でしょう。

しかしながら仏道の目的が「個人の心の制御」にある事を認めた上で「頭の中をスッキリ」させるだけでは或る「物足りなさ」を感じております。
私の心に「好奇心」という欲があり、その欲は「個と全体」のテーマに行き着いています。
子供の頃から(成人になっても)人間以外の動物(例えば猫、鳥)を観察してその自由な振舞いに憧れてきました。

人間以外の動物は過去を憂う事無く、未来を心配する事無く、現在(今)を生きて現在(今)を感じているはずです。
小池龍之介氏の著作では『動物にも煩悩があり、「思考」ではないかも知れないが外部からの入力(刺激)に対して条件反射的な反応(行動)をする。』と記されています。
私の好奇心は一匹一匹の動物が条件反射的に行動する事は理解できますが、他方動物が集団となると全体性が現れ個が非常に薄れる事実に大変興味を覚えます。
具体的には鰯の大群が水中でとる行動(フォーメーション)で群れを守る、とか皇帝ペンギンが寒さから集団を守る為に渦巻状の回転をして全体で寒さを凌ぐ行動です。

おそらく仏道では「動物の群れも一つ、そして地球も一つと全体性を捉えよ」と述べていると思いますが、その辺りの深遠な教えを解説して戴ければ、「一切無我」「一切皆苦」の理解が深まりそうです。
そしてその理解が動物である人間の愚かな過去(戦争・ホロコースト)を解き明かしてくれそうです。  (東京都・56歳・男性・会社経営)


「考えない練習 五感を使おう」というテーマで、わたし自身、最近興味のあるテーマでたいへん面白く読ませていただきました。
前提としてですが、先日私は小池さんの座禅指導に参加し、一般の方よりは初期仏教に知識があるものして書かせていただきます。

「五感を使う」(食事の際の感覚、など)は実際に小池さんの指導を受けた結果から、本だけではなかなか正しい実践と継続は難しいかと思います。(やっても意味があるのかと止めてしまう、やり方が合っているのかわからないなど)
ただそれは、この本の欠点ではなく、本という特質上しょうがない点だとは思います。
私自身は指導を受けた経験から、復習もさせていただいているような感じで、大変ためになりました。

また、「捨てる」「育てる」などの章では、自分で思っていたモヤモヤや無意識にしてしまう過ちに改めで気づかされ、また、なかなか他ではお目にかかれない言説であり、改めて気をつけたいと思いました。
ちなみに私は以前から考えすぎることが多く、大学卒業後、家にこもって本ばかり読み、考えるという時期があったのですが、仏道のテクニックは、そういう回路や日々の悩み、苦しみ、考えすぎを克服するのに非常に適した方法だと思います。

感想と少しずれるかもしれませんが、本にも読み方があって、ただ読むのではなく、切実さが必要であり、また指導マニュアルなどの場合は、やはり本だけでなく実際に体験することで大きな気づきを得られのるだなと思いました。
なにごとも継続と実践が難しいのだとは思うのですが、改めて仏道の奥深さとさまざまな気づきを得ることができたと思います。(栃木県・25歳・男性)


とても、とても、実用的な内容の本だと思いました。
全体に「休脳」というより、意識を鋭敏にする「鋭脳」の本という印象でした。

最後の池谷さんとの対談もとても面白かったです。
この本以外の小池住職の本を読んでいない方、あまり、原始仏教を知らない方が持つ疑問を質問されていたので、そういう方のフォローにもなっていると思いました。

思えば思うほど願望が引き寄せられる、という感じの「引き寄せの法則」や、「ザ・シークレット」が流行っているなか、思っても思っても引き寄せからは遠ざかり、リアルに成功を想像すればする程、反対の結果が起こる。
そんな人のための答えがこの本にあると思いました。

私の実感としても、今の自分のことで「恵まれているな」と感じることは考えなかったことばかりです。
今の私は「思いもしなかった自分の集大成」です(えばって言うことではないですね(笑))。
妄想が得意な私はずっと妄想の中で生きていましたので、何かに集中するのは不得意でしたが、この本は、日々の生活の中で集中しやすくしてくれるヒントを事細かにくれます。

私は住職のところの坐禅セッションにも参禅しておりますので、こういったお話は時々聞いておりましたが、改めてまとめていただけるとよりエッセンスが強くハッキリと伝わってきます。
集中すると、「作った自分」でなくなる感覚が出てくる気がします。
他のものに注意を向けてないので、かなり自分勝手な感覚になるのですが、反射という事や、いつもの勝ち負けだけで自分や人を評価している事とも遠くなるので脳内妄想だけの自分勝手とは違う感じで、ある意味自分勝手だけど社会に参加している感じがして気分がスッキリしてきます。

話は変わりますが、44ページの『「私はむかつく!」と思っている』だけで、それが真実とは言い切れないといった部分は瞑想していても、私の場合、長い間、とらわれていたところで、自分を引き離す、流すといった感覚がわかりづらかったので、ここはこの説明だけでは「いや、私が思ったからそうでしょう!」としか思えない、私のような理解しづらい人もいるかもなぁ、と思いました。

ですが、瞑想や集中することで、今はこのエッセンスが少〜しづつわかってきて、何度も「なんて感情にへばりついていたんだ!」ということに出会い、その脱力感とともに、ムカつかないで生きれるクリアな時間を垣間みては、より「集中した」気持ち良さを取り入れたいと、この本は改めて思わせてくださいました。
とはいえ、全てにおいて集中するというのは難しいのですが、それでもこの本を読んだ後では違う気がします。

長くなりましたが、この本を読めて今の仕事で焦りそうになる自分をいさめるのにも、とても良かったです(笑)。(東京都・41歳・女性)


「考えない練習」は、実体験として実に「読み応えのある」本でした。

話す、聞く、見る、書く、読む、食べる、捨てる、触れる、育てる、コラム、どの章を読んでも、もの凄いスピードで『あーあ、これやっているよぉ、がーん』と思考の連想ゲームが暴走。それに「ハッ」としては「読む」ことに戻る、反復横跳びの繰り返しでした。
ですから、読み始めは今までよりも読むことにかなり時間がかかりました。
そこで、本を開く前に30分程瞑想をし、著書にあるようにキッチンタイマーを使って読んでみましたところ、非常に読むスピードがアップいたしました。そして時間になったら途中でもスパッと読むのをやめて、次にやるべきことに移りました。
すると、他のことでも同じように行動できるようになり、ダラダラして計画が狂い「慢」→「怒り」の反応パターンに陥る回数が減り、清々しい気持ちでいる時間が増えました。

私は月読寺で坐禅瞑想のお稽古に参禅させていただいておりますが、この本は、日常生活でのお稽古実践にとても役立ちます。坐禅の時間だけでなく、日常生活全般が瞑想のお稽古になりますから。
小池住職の著書は、今まで何冊も読ませていただいておりますが、僭越ながらこの著書は以前よりもとても洗練されたと感じました。改めて瞑想の威力を感じ、励みとなりました。 (東京都・40歳・女性)