仏道式イエデ4コマ、第六百二十九回目を御届け致します。

自分が特別扱いされることで得られる、「自我」への刺激。
それを求めて私たちは、実験室に閉じ込められたマウスのごとくもがき、暴れまわるぅぅぅうーーーッ。
手伝いをお願いされたときに「私だけに頼んでくれて信頼してもらえてるなんて嬉しいな、るんるん」と思いきや。実は同じことを別の人々にもお願いしているのを後で知ってガッカリするとか。
2月14日に手作りチョコレートをもらって嬉しかった、と思いきや、その同じチョコレートが余ったので、他の人にも分けてあげたんだと、後で知ってちょっと寂しくなる、とか。
このガッカリとか寂しさというしろものの原材料は例によって、「自分だけが、このワタクシだけが特別な存在として承認されて、他の存在とは区別して扱われねば気がすまないのであーる」という「慢」にほかなりません。
他の人と同じに扱われる、ということは、「私たちが他の人と交換可能なちっぽけな存在にすぎない」という厳然たる事実を思い知らせてくれるので、ついつい受け入れたくなくなることでしょう。
しかしながら「自分は交換可能なちっぽけな存在じゃないもんッ、特別だもん」という幻想にしがみつこうとするせいで肩に力が入り、頼りにしてもらえていることを素直に喜べなくなったり、チョコレートをもらったことを素直に喜べなくなったりするなら、かえって自分が惨めになるだけのこと。
「そうだよね、だって<自分>なんていう現象はしょせん特別じゃないもんね」と事実を受け入れて、ほっと一息つきたいものです、ね。
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また、これまでの4コマをテーマ別に整理して加筆したものが、著書『
煩悩リセット稽古帖』として出版されております。