仏道式イエデ4コマ、第六百二十六回目を御届け致します。

私たちは日ごろ、待ち合わせに遅刻したり遅刻されたり、約束を破ったり約束を破られたりしながら生活しています。
それが時と場合によっては、相手に大きなダメージを与えることにもなるわけですけれども、その内訳を少しばかり見てみましょう。
実は、私たちは「約束を破られた」という事実そのものに対してダメージを受けているわけではないように思われます。
約束を守れなかった理由が、体調不良だったりやむを得ない仕事ゆえのことなら、さほど嫌な思いはしないことでしょうから。
しかしながらその理由がもし、「急に、ほかにもっと会いたい人ができたから土壇場で予定変更」といった具合でしたら、腹が立ったり悲しくなったり、すねたりしがちなものです。
つまり、約束破りや予定変更の背景にはたらいているのが「もっと得したい」という欲望だったとき、相手はダメージを受けます。
ですから私たちは「約束を破られた」という事実ではなく、その背景にどのような煩悩がはたらいているのかということを詮索しては、イライラと気にしているのだということが見てとれるでしょう。
「約束破りは道義上、よくないのであーッる」と考えて怒っているつもりでも、実際には違う感情に操られていたりします。
「自分よりも、他の選択肢のほうが大事なんでせう。うわーん、屈辱的だよーう」というものだったりするのです。
しかしながら、「自分を大事にしてくれてなくてプライドが傷ついている」という慢の煩悩はみっともないですから自覚したくありません。
自分の裏の感情には気づかないままに「相手が約束を破った、約束を守らないのは社会ルールに反する」という大義名分のたつ「正論」にすり替えてしまうのではないでしょうか。
自分が「破られるほう」にまわったとき、この「すり替え」に少しでも早く気づいて、みっともない自分を認めてスっと肩の力を抜きたいものです。
そしてついつい自分の欲望に引っぱられて「破るほう」にまわってしまいそうになるとき。相手の「慢」を刺激して屈辱を与えてしまいかねないことを想い出すことといたしましょう。
そうすれば、目先の「得」を求めて予定変更するメリットよりも、相手に屈辱を与えたダメージが将来的に自分に跳ね返ってくることのデメリットのほうが大きいことを心得て、「やっぱり約束は守ってあげないと」と思いとどまることもできましょうから。
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また、これまでの4コマをテーマ別に整理して加筆したものが、著書『
煩悩リセット稽古帖』として出版されております。